名古屋旅・その1 The Rhapsody Tour 前編

名古屋へ行ってきました。

名古屋って新幹線で通過するばかりでちゃんと行ったことがない。だって特に用事がないし・・・とそういう人けっこう多いような気がするけど、私もその一人でした。でも今回初めて用事ができた。

クイーンが来るのだー!!

ということでQUEENADAM LAMBERTのコンサート「The Rhapsody Tour」@ナゴヤドームに参戦するために、初めて名古屋へ行ったのであります。
関東はその前にさいたまスーパーアリーナで2日間公演があったのだけど、5月のプレオーダーから何回申し込んでもチケットが当たらず・・・(泣)辛うじて当たったのが名古屋公演だった。まあ名古屋が今回の日本公演の最終日だし、せっかくだからついでに名古屋の観光もするからいいのだ。

というわけで、2泊3日名古屋旅。

【2020年1月30日(木)】

パンダさんは前日から出張で九州に行っているので、今日は私ひとり旅(翌日の晩、名古屋で合流する予定)。新横浜駅でダウンジャケットの中にクイーンTシャツを着たおばお姉さんとすれ違い、早くもちょっとテンション上がる。私もコートの中は嬉し恥ずかし、2016年の武道館公演の物販で買ったクイーンTだったりするんですよ。正午前に名古屋駅着、JR在来線に乗り換えて大曽根駅へ。予約してあった宿に荷物を置き、イオンの無料シャトルバスを利用させてもらってナゴヤドームへ。
コンサートの開場は17時なのだけど、物販が13時からで、すでに行列ができているという話なので行ってみたのだけど、


▲13時に着いたらこの状態だった(ゴールは突き当たりから左へ50メートルくらい先)
そういえば4年前も雨が降る中、武道館の周りを1周するくらい並んだのであった。今日は寒いけど晴れていて良かった。
今回のこの行列は実は50,000円のGOLD席を買った貴族たちの列の後に平民の列が続いていて、平民列の先頭の人が辿り着いた時点ですでに売り切れているアイテムがいくつかあったよ!という話がツイッターに流れてくる(そしてそれらが今(コンサート終了後)メルカリで売られてるとか・・・)。


▲意外と早く1時間くらいで辿り着き、お目当てを無事ゲット。

その後、イオンモールの方へ行ってみたら、入り口のところに何やらまた行列が。テントを出して、クイーンのチョコレートを売っていた。


▲すでに売り切れが続出。
物販につぎこんだ勢いで財布の紐がゆるゆるになっている奥様たちがここでホイホイ捕まっているらしい。もちろん私もフラフラと捕まる。しかし並んでいるうちにお目当ての商品が売り切れになり、なんか聞いたら高島屋でも売ってるというので、今度そっちで買うことにして列を離脱。


イオンモール内でも今日は全力でクイーン推し


▲45年前の名古屋城、ジョンとフレディと子供たち。ええ写真や~


▲物販から流れてきたクイーンファンたちで人だかりができている。


イオンモール内の書店でもクイーン関連本特集。こちらも人だかり。

気づいたらイオンモール内、そこらじゅうクイーンファンがうろうろしている(物販で買ったトートバッグを下げているのでバレバレ)。まだコンサートの開場まで時間があるので、お茶でもして時間をつぶそうという感じなのかな。

私もちょっとお茶でも飲みたい気持ちだったが、コメダは混んでいるし、ここはいったん宿に戻って体力温存することにする。

 

あら?コンサートまで辿り着かなかった。まあいつものことです。
次回につづく。

お正月2020

あけましておめでとうございます。

こちらに引っ越してきて最初のお正月を迎えました。

元日に初詣に行こうと思ったのだけど、生活圏内でなじみの寺社仏閣というのがこれと言って思い当たらず・・・京都だったら迷うほどあったのに。グーグルマップで検索して、徒歩20分くらいのところにある小さな神社へ行ってみたら、お宮の前に参拝のための長蛇の列ができていた。

この辺りの人がみんなここへ来るんだろうね。30分くらい並んだけど、お正月らしく気持ちの良い晴れの日で良かった。

 

2日からは1泊で有馬温泉へ行ってきました。今年は私の実家のほうが喪中で家のお正月は何もしないので、代わりに米寿の婆さんを温泉へ連れて行く名目で、そこで集まろうということになったの。
婆さんを慰労し、甥っ子にお年玉をあげ、ご馳走を食べて(トップの写真は旅館の朝ごはん)、温泉に入り、(家族対応は基本的にめんどくさいのだが)なかなか良いお正月でした。旅館でやっていたお年玉くじを引いたら、1等のおみやげ詰め合わせ↓を当ててしまったので、私の今年のツキはもう使い果たしたかもしれない。

 

ところで今年は年賀状をしなかったのだけど、毎年作ってきた「干支の歌」を今年だけ作らないのも気持ちが悪いのでやっぱり作りました。そしてせっかく作ったのでここに載せときます。

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ねずみ年には「ミドシ」が入っている。そしてなんと初の5拍子。歌はカピバラ温泉のイメージですよ。一応「ね(子)」で韻を踏んでいるつもり・・・

例年通りハガキベースで欲しい方は送らせて頂きますので、ご遠慮なくお申し付けください(いないと思うけど・・・)。

 

ということで本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

zum Geburtstag

先月のことですが、うちの祖母の誕生日祝いをしたそうで、父から写真が送られてきた↓

ので、ばあちゃんにおめでとうメールを送ったら、ばあちゃんからこんな返信が来た↓

ばあちゃんwwwww

 

先週のことですが、私の誕生日祝いをしてもらいました↓

只いたづらに歳をかさねて40にもなりました。
此れからはみなに迷惑かけないようにいいオバさんになれるよう精進していきたいとおもいます。

 

・・・言うてみただけです。

いや、これからもみなに迷惑はかけるでしょう 。でもせっかく40代を経験できるのだから、いいオバさんになれるようできるだけ精進したいと思います。 

よろしく(*^ ^*)v

 

紅白に応募してみた2019

 今年、初めてNHK紅白歌合戦の観覧に応募してみた。

今まで一度も出たことがないスピッツが万が一出るとしたら今年しかないだろうと思って応募してみたのだけど、

▲まあ当然、落選しました。

NHKさんの発表によると、1,230,944通の応募に対して当選枚数1,227枚。当選倍率1003倍。1枚しか出していない私が、そりゃ当たるわけない。スピッツもやっぱり出ないみたいだし、今年もいつも通り家でまったりテレビ見ます。

それにしても応募してみて初めて知ったけど、紅白の観覧って往復はがきのみの受付なんですね。この令和の時代に!それは何、長いこと受信料を払っている世代の方々ほどネットで応募なんてとても無理だからなのか、それとも応募者に往復はがき代とはがきを書く手間を負担させることで多少なりとも応募のハードルを上げようということなのか(ちなみに観覧は無料)、はたまた日本郵便との癒着か。

だって123万枚のはがきを半分に切って当落を印刷して返送するって、考えただけでもすんごい事務方の仕事量のような気がするけど・・・そんなことないの?

応募する側にメリットがあるとすれば、一人で何通でも応募して良いという点で(でも当選は1通のみらしい)たくさん送れば送るほど当選確率を上げることができる。ツイッターで今年当たったという人のツイートを見たけど、なんと一人で1,200通送ったとか書いてあって軽く引いた・・・だって往復はがき1枚126円ですよ。×1,200って・・・ほんまかいな。でも倍率1000倍だから、実際それくらいしないと当たらないのかも。でもそういう人がいるからますます倍率が上がるわけで・・・???ていうかその1,200通出した人は、家の郵便受けに1,200通の返信はがきが届くんだろうか。

なんか考え始めるといろいろ恐ろしいシステムだ。

しかし1枚だけ出して絶対当たらないと限ったわけでもないですよね。今年出してみて思ったけど、1枚でも出してあったら、年越しの予定を考えるのに「もしかしたら紅白見に行くかもしれないし」とちょっとワクワクできて楽しい。宝くじ買うのと同じですな。来年からも毎年応募し続けてみようかしら(でもだんだん本気にならないように気をつけます・・・)。

auf der G-Saite

松ヤニが1年やそこらでなくなるかぁー!!
(↑先週の某ドラマを見ていた私の心のツッコミ)

誰か見てた人いません?同じとこツッコまなかった?

見てない人のために一応説明しておくと、大人のバイオリン教室に通って1年ほどになる男子と女子がおりまして、男子が女子に路上で誕生日プレゼントの包みを渡すのであります。
女子「これ何?」
男子「松ヤニ」
女子「色気ないなぁ~」(中略)
男子「じゃあ返せよ」
女子「やだ。ちょうどなくなりかけてたし」
男子「知ってた」
女子「えっ、嘘!」
男子「・・・うそ」

とかいう胸キュン(死語?)シーンなのである。松ヤニなぞという地味なアイテムにこんなキューピッド役が与えられて光が当たるのは大変喜ばしいのだけど、思わず冒頭のツッコミを入れてしまう。
注:松ヤニとは、バイオリンを弾く際に弓の毛に塗って摩擦を起こさせるもので、ほぼ毎回使う必須アイテムではあるのだけど、そうそう減らないので、落として砕けるか、あえて違う種類を試そうとするかしない限り滅多に買い替える機会がなく、私は今使っているやつ(20年前に楽器と一緒に買った)を一生使うんじゃないかという気がしている。

録画してあったので、念のためさっき女子が松ヤニを塗っていたシーンをもう一度見てみると、確かに松ヤニが半分くらいになっている。でもそれでもあと数年はもつと思うよ!

このドラマ、初回から見ているのだけど、バイオリンを始めたばかりの人たちの話なので、ぎこちない演奏ポーズにむしろリアリティがあって、よくある楽器ものドラマの違和感があんまりない(先生以外は・・・)ところが良い。そして憧れの例の曲を弾くのに「先生、このフラジオの音だけはどうしても弾けるようになりたいんです!」(いやいや、フラジオはそんなむつかしくないやろ)とか、発表会の直前に「かっこいいとこ見せようよ」と言って指板に貼ってあったシールをはがし、代わりに鉛筆で指板に指の位置を書き(!)、鏡を見て「ほら、すごく弾ける人みたい♪」(なんじゃそりゃ!)とか、ちょいちょいツッコミどころがあってけっこう面白い。

でも、初めてみんなで曲(「星に願いを」)を通して弾けてめちゃくちゃ喜んだり、その後家でひとりで弾いたらあまりうまくできず「最初に弾けたときはあんなに感動したのになぁ・・・」と落ち込んだり、そうそう、わかるよその気持ち!なところもたくさんあって、ついつい自分が楽器始めたころのことを思い出してしまう。

私がヴィオラを始めたのは高校のクラブ活動(弦楽部)からなのだけど、弦楽器初心者ばかりの1年生たちに顧問の音楽の先生から最初に与えられた曲は「きらきら星」だった。楽譜と指板をにらめっこしながら一生懸命音を探して練習していて、ふと気づいた・・・「なんか私たち(ヴィオラパート)だけみんなと調が違うくない?」そこで初めて楽譜の左端に見たことない記号が書いてあることに気づいたのであった(ト音記号の楽譜だと思って読んでいた)。先生・・・最初に教えてよ!!!
注:ヴィオラの楽譜は通常、ト音記号でもヘ音記号でもないハ音記号というのを使用して書かれていて、ヴィオラをやる人はまずその楽譜に慣れるのに苦労する。

その後入った大学オケでもヴィオラは基本的に初心者が多く、先輩に教えてもらいながら練習するのだけど、うちのヴィオラパートでは、5月の連休中に行われる春合宿の最終日に、1年生が先輩たちの前で「かえるの歌」の輪唱(輪奏?)を披露するのが伝統であった。最後の一人が弾き終わったときに、わーっと暖かい拍手が起こる。今考えても何とも微笑ましい(ビオラっぽいというか)伝統だったな(そういえば他のパートは最初にどんな曲やってたんだろう?誰か教えてください)。

まあその後は数々の分不相応な難曲に立ち向かい、撃沈に撃沈を重ねて今に至るわけなのだけど、ときどきはあの頃の新鮮な気持ちを思い出してもいいような気がする。

ということでこのドラマを毎週見ているのだけど、冒頭の男子と女子のコイバナだけだったらちょっと若すぎてついていけないところを、もう一人の教室仲間であるおばちゃんの存在が良い味出していて、私なんかはもう完全にそのおばちゃん目線で楽しんで見させてもらってます。

明日も楽しみだ♪

 

武相荘

札幌在住の友人、Musiqueさんが出張でこちらに来るということで、久しぶりに会ってお茶することに。せっかく東京も西の方まで来ているらしいので、一緒に旧白洲邸武相荘へ行ってきました。

お仕事終わりのMusiqueさんと小田急小田原線鶴川駅で待ち合わせして、ちょうど出るところだったバスに飛び乗り、ホームページに書いてある最寄りのバス停「鶴川一丁目」で降りてスマホの地図を見ながら目的地方面へ進んで行ったのだけど、どうも裏側からアクセスするルートを選んでしまったようで、道がよく分からない。
「こっちじゃない?」「たぶんこっちやろ」などとうろうろしていたら、通りすがりのおじさんが「どこ行くの?武相荘だったらこっちじゃないよ、あっちの道だよ」と教えてくれた。すみません、ありがとうございます、と言って教えられたほうの道へ行くと、さっき同じバス停で降りたおばさんがいて「武相荘行くんでしょ。こっちこっち」とわざわざ我々を待って「あの森の中よ」と示してくれた(しかもおばさんは武相荘へ行く人ではなかった)。たぶん武相荘を目指す迷い人がこの辺にしょっちゅう出没するんだろう・・・親切な地元の方々に助けられて無事到着。

ちなみに実は私は以前一度、母と行ったことがあったのだけど、何年も前のことでどうやって行ったのかもあまり覚えていないのであった。役立たずでスマン。

さて、武相荘というのは白洲次郎・正子夫妻が戦時中から亡くなるまで住んでいた邸宅を記念館として一般公開しているもの。

内部撮影不可だったので写真はないですが、夫妻の仕事や生活の中で使われていた道具類や着物などが展示されてます。家の中の隠れ家のような正子さんの書斎が居心地良さそうで良い感じだった。

森の中の散策路もあったり。

Musiqueちゃんは正子さんの本を読んでハマったことがあるそうで。私は暮らしぶりに漠然と憧れはするけど、実は白洲夫妻についてそんなに知っているわけではないのよね。私も本読んでみようかなぁ。

素敵なものいっぱいのショップまで見て回ってから、レストランでお茶。


▲季節のデザート、りんごのパイ的な何か(忘れた・・・)


武相荘どら焼き(photo by Musiqueさん)


▲キャラメルアイス入り(photo by Musiqueさん)
図らずもどっちもオンアイス(インアイス?)だった笑

おしゃべりに花が咲きすぎて、気づいたら閉店時刻に。慌てて出たら、暖かいあかりの灯った武相荘が見られました。

短い時間だったけど、一緒に素敵な時間を過ごせて楽しかったよ。どうもありがとう。またいつでも遊びに来てね。

帯状疱疹体験記・その5止

帯状疱疹体験記・その4のつづき。

【発症から22日~28日頃】

 痒み止めの内服薬は効いているのかいないのかよく分からなかった。相変わらず痒みと痛みを繰り返しているような感じ。かいかい女になるほどの痒みはなくなってきた気がするが、皮膚の下に小さい虫が這っているようなむずむず感が発作的に起こる。痛いときは、銀歯でアルミを噛んだときのような(?我ながら意味不明だけどなんか金属的な)痛みが脈打つようにあって、どちらの場合も患部(主に腹)を押さえていると少しマシになる。

なので職場では、右手でキーボードを叩き左手は腹にあてがうという怪しい姿勢で仕事をしていたし、寝るときは左腹を下にしてうつ伏せ気味に寝ていた。皮疹はもうほぼ治ったはずなのに、神経症状だけが続くというのは、帯状疱疹後神経痛というやつに片足を突っ込みかけているんではなかろうか?嫌だよう。

この頃、移植後フォローで以前から通っている総合病院を受診した。移植後2年経った今年7月以降は2か月に1度の通院になっていて、帯状疱疹を発症したときは次の受診までまだ1か月近くあったので、一応電話で連絡したら「近所の皮膚科に行ったのならとりあえずはOK。抗ウイルス薬を飲んでも治る気配がないようならこっちに来て。大丈夫そうなら予定通り来月の受診で良い」と言われていたのであった。

主治医の先生に状況を説明し、皮膚症状は治まったけどまだ痛みが続いていると言ったら、リリカが処方された。


帯状疱疹後神経痛や、線維筋痛症などの神経障害性疼痛に効くというリリカ

薬のくせにえらい可愛らしい名前だよね。このピンクもいかにもリリカ色だし。てか薬の名前ってどうやって決めてるんだろ?ロキソプロフェン(成分名)→ロキソニン(商品名)とかならわかるが、プレガバリン(成分名)→リリカ(商品名)とは如何に。

ともかくもしばらくこれを飲んで様子を見てみてとのことで1か月分処方された。痛くなくなったら飲むのをやめても良いかと尋ねたら、いいけど、たぶん1か月くらいではよくならないんじゃないかと思うよ的なことを言われた。しょんぼり。

【発症から29日~40日頃】

リリカは鎮痛剤とは少し異なり、飲んですぐ痛みが引くというものではないらしい。日常的に続けて飲むことでだんだん神経の興奮が抑えられてきて痛みが治まるということなので、飲み始めてしばらくは、ほんとにこれ効いてんのかなという感じだった。そのわりに副作用は強く、フラフラしたり、ものすごく眠くなったりする(夜はよく眠れて良いけど仕事中がツライ)。

しかし飲み始めて1週間目の朝、いつもはイテテテ・・・となりながら起きるのだけど、久しぶりにそれがなかった。これは!もしかしてリリカが効いてきたのでは?その後もだんだん痛みを感じることが少なくなり、併用していたロキソニンを飲む回数も減った。さらに1週間飲み続けたら、もうほとんど不快な症状はなくなった。リリカちゃんすごい! 

発症から40日後、ずっと延期になっていた予防接種を受けるタイミングでリリカを飲むのをやめてみたが、特に痛みがぶり返すこともなく、今に至る。処方されたリリカを半分くらい残して、治った・・・と言っていいかな。予防接種の先生には「まあ早く治ったほうだと思いますよ、良かったですね」と言われた。いやーほんと、帯状疱疹後神経痛になったら半年とか1年とかかかると言うし、そこまで長引くことなく治って良かった。 

今まだ皮疹のあとがシミのように腹に残っていて、知ってる人が見れば帯状疱疹跡だとわかりそうなので、銭湯とかに行くのはちょっと憚られる。けどこれもだんだん薄くなっていくと思う。ときどき思い出したように痒みが出ることもあるけど、すぐ治まるし、だんだん気にならなくなっていくんでしょう。

ということで最初の宣言通り特にオチはないけど、帯状疱疹体験記、これにてひとまず終了とします。

長らくお付き合いありがとうございました。