帯状疱疹体験記・その4

帯状疱疹体験記・その3のつづき。

【発症から9日~14日目頃】

処方してもらったロキソニンがうまいこと効いて、痛みをコントロールできるようになった。仕事にも普通に行って、昼休みに薬を飲みつつ、普通に仕事した。皮疹の水疱は勝手につぶれてなくなっていき、デコボコも少しずつ平らになって、皮膚の赤みだけが残ったようになった。

この頃パンダさんの海外出張があって、代わりに実家の母が5日間ほど泊まりに来た(私が病気したから来たというわけではなく、元々遊びに来る予定だったの)。私の腹の皮疹を見て、「うわー、すごいな。でもようここ(ヘソ)までで止まったなぁ」と言う。
私「は?」
母「(帯が腹を)ぐるっと一周せんで良かったね」
私「おかあさん・・・一周はしません。帯状疱疹は身体の半分しか出ないの」
母「そうなん?だって最初よりひどくなったって言うから心配したんよ」
私「そらそうやけど。でもだいぶ枯れてきたし、たくさん塗り薬もらったけど余りそうやわ」
母「そうか、まあ今度またなったときのために置いといたら」
私「おかあさん・・・帯状疱疹は(ふつうは)再発しません。今度はないの」
母「えー、だってうちのお父さん、疲れたときとかこのへん(目のあたり)にまたヘルペス出たってしょっちゅう言いよるよ」
私「おかあさん、帯状疱疹と単純ヘルペスは違うんやって!もー、ちょっとは調べてよ。」
母「え~、いやいや!そんなん調べたら怖いもん。よう調べんわ」

・・・ったくこの母はよぉ~。昔からなんっかこういう感じなんよね。心配だ心配だとわーわー騒ぐわりに、現状を正しく認識しようとしないというか・・・そういうのは本当に心配してるんじゃなくて単に「心配したい」だけなんやで。だいたいこの人は・・・って身内の文句は止まらなくなるからもうやめよう。

【発症から15日~21日目頃】

この頃になると皮疹は全体的に茶色っぽくなり、もう完全に枯れたなという感じになった。しかし痛みのほうはやはりまだ続いていて、鎮痛剤が切れてくると痛い。一時期あった皮膚の灼熱感とかピリピリ感というのはもうあまりないのだけど、神経痛というのか、なんか中のほうで痛い。そして痒い(痛いと痒いを交互に繰り返しているような気がする)。尋常でなく痒い。掻いたらその後痛くなるので掻きたくないのだけど、耐え切れず掻いてしまう。普通掻いたとこは痒くなくなると思うのだけど、中のほうからさらに強い痒みが沸き上がってきて、もっと掻かずにいられない感じで、ぐわー!掻けば掻くほどかゆいー!とばりばり掻いてしまう。まさに「かいかいおんな」(←パンダさんの幼少期の「嬰」の覚え方)。

3回目の皮膚科へ行って、痛いのもあるけどめっちゃ痒いんですけど、と訴えると「治ってきているから痒いのです。そうやって痛いのと痒いのを薬飲んだりして何となくやり過ごしていくうちに治っていくものです」と言われ、抗ヒスタミン系の痒み止め内服薬を処方された。皮疹のほうは、ほぼ治っているので、もう薬は塗らなくて良いということであった。


▲私のクリアファイルにいるキティちゃん(特に意味はないアイキャッチ用画像)

 

次回につづく。

 

帯状疱疹体験記・その3

帯状疱疹体験記・その2のつづき。

 

【発症から7日目】

この日も仕事が入っていたけど、昨日の休みに便乗してまた休みにさせてもらった。根性があれば行って行けなくはない状態だったと思うけど、そんな言葉は私の辞書には一切ない。

また1日だらだら過ごしていたのだが、なんだか痛みより痒みが出てきた。皮疹があるから掻いてはいけないと思うのだけど、あまりに痒いので服の上から掻いてしまう。するとめちゃくちゃ痛い。しかもそのあと余計に痒くなる気がする。なんじゃこりゃ、帯状疱疹がこんな痒いなんて聞いてないよ!と思ったが、ネットで調べたら治りかけは痒くなることがわりとあるらしい。そして皮疹を掻き壊してひどい潰瘍になっちゃったりしている写真とか出てきてゾゾゾ~とする。

とりあえず治ってきているから痒いのであるらしいということで一応安心はしたが、痒いのも痛いのと同じくらい不快だし、掻いてはいけないという抑制があるぶん余計気が狂いそうになる。なんとかこの痒みを鎮める手はないか。ステロイド系塗り薬は帯状疱疹の皮疹に使ってはいけないという話なので、せめてと思って保冷剤で患部を冷やしてみた。すると痒みは治まったのだけど、今度は痛みがぶり返してきた。やっぱりね、そんな気がしたよ!

不毛な闘いに疲れてもう寝ようとしたのだけど、痛みが強くて全然眠れない。灼熱感というのか、皮疹のところが焼けるような(ほんとに焼いたことないけどイメージとして)熱痛い感じで、痛み止めもまったく効いている気がしない。思い返せばこの日が痛みのピークだったかもしれない。起きて座ってみたり横になってみたり、悶々としつつ朝になった。

 

【発症から8日目】

最初に受診した内科外来を再度受診する日だったので(誰も覚えてないと思うけど尿に細菌が出ていた件。この一週間、抗生剤も一応飲んでいた)行って先生に「実は帯状疱疹でした」と報告。先生も帯状疱疹経験者で「あれは痛いですよね~」と同情された。体調が良かったら先週延期にした予防接種を受ける予定だったけど、そういうわけなのでさらに延期になった。

続いて皮膚科へ。私の帯状になった皮疹を見るなり「うわ!これはまた立派なの作ったね~!」と先生・・・。最初はほんの少しだったのに、1週間でここまでなるのは「若い人にはあんまりないね。高齢者にはあるけど」って、ガーン。「やっぱり移植で免疫が落ちてるんだね」と。まあそうなんでしょうね。

造血幹細胞移植を受けると、これまでに獲得してきた各種免疫がほぼリセットされてしまうので、予防接種を受け直すことが推奨されている。移植1年後の昨年は赤ちゃんが受けるのと同じ4種混合とかHibとかを受けてきて、移植後2年経ったこれからMRワクチン(を受ける予定だったのだけど帯状疱疹で延期)、その後に水ぼうそうのワクチンも受ける予定だった。水ぼうそうのワクチンを受けていれば帯状疱疹は免れたかもしれないけど、それより先に罹ってしまった。ていうか帯状疱疹になると水ぼうそうに対する強い免疫ができるというけど、じゃあもうワクチンは受けなくていいんだろか??

それはさておき、痛みが強いのでもうちょっと強い鎮痛剤を出してほしいと訴えると、ロキソニンビタミンB12(神経を修復するらしい)が処方された。抗ウイルス薬は1週間飲みきったのでこれで終了。皮疹は帯状になってピークを迎えたらしく、最初にできた水疱が枯れ始めてきているので、全体的にもそのうちだんだん枯れてくるだろうとのこと。よかった。

先週のと同じ軟膏も引き続き処方されたのだけど、薬局でそれを受け取るとき薬剤師さんに「今、患者さん皆さんにアンケートを行っておりまして・・・このように軟膏に塗る部分を書いたシールを貼っているのですが、どう思われますか?」と尋ねられた。

「えっと・・・私の場合はからだしか塗るところないので何とも・・・」と正直に答えたら「そうですよね。ご協力ありがとうございました。」と。それで良かったのだろうか。

でもそういえば、入院中にGVHDの下痢がひどくて、お尻に塗る軟膏が処方されたとき、看護師さんによって軟膏のチューブにマジックででかでかと「おしり」て書かれていた(しかも2ヵ所も)ことを後から思い出した。「おしり」と「からだ」と両方ある場合はちゃんと書いておかないと、分かんなくなったら困るもんね。

 

次回につづく。

 

帯状疱疹体験記・その2

帯状疱疹体験記・その1のつづき。

 

【発疹から3、4日目】

仕事が休みなのを良いことに、1日中寝て過ごす。「帯状疱疹は、精神的にも肉体的にも疲れたときに出てきます。かぜをひいたのと同じだと思って、十分な栄養と休養をとるようにしましょう」とガイドブックにも書いてあるし。

毎日お風呂上がりに皮疹のところに塗り薬をぬるのだけど、初日はヘソの横に少しだけだった皮疹が脇腹のほうへも少しずつ広がってきていた。さらに最初に痛かった背中の部分にもポツポツが。抗ウイルス薬は効き始めるまでに2、3日かかるらしいし、まだウイルスが元気なのかもしれない。早く効いておくれ。

痛みのほうはやはり背中から脇腹にかけてのズキズキと、皮疹の出ている皮膚のチクチクピリピリした感じ。初期の痛みが強いと、帯状疱疹が治ったあとも痛みだけが続く帯状疱疹後神経痛というのになってしまう可能性が高いという話なので、痛みを我慢しないように痛み止めをきっちり飲む。というか痛み止めの効果が切れてくると痛くなってくるので、処方されている以上の頻回(一応カロナールの用法・用量の範囲内)で飲んでいた。

 

【発疹から5日目】

仕事が入っていたので仕方なく出勤。仕事ができないほどではないが、じんわり痛みがあるので集中できない。早く昼休みにならんかな、終業時刻はまだかいなと何度も時計を見てしまう。1日終わったら疲れ果ててしまった。ちょうど仕事量もあまり多くない時期だったので、翌日の仕事はお休みさせてもらうことにした。

職場の方々に変にご心配おかけしても申し訳ないので、正直に「実は先週から帯状疱疹というのを患っておりまして・・・」と言ったら、「帯状疱疹!なんか(同じ部署の)〇〇さんも最近なったって言ってませんでした?あと◇◇さんも・・・流行ってるんですかね?」などと流行り病にされてしまった。いやいや、うつる病気じゃないし、たまたまでしょう。

とか思っていたら、ちょうどこんな記事を見つけた。

toyokeizai.net

えっ、ほんとに流行ってるの?と思って読んだけど、別に今年流行しているとかそういう話ではなかった。でも増えてるんですね。

 

【発症から6日目】

仕事を休んだので、身体を休めるべく1日寝ていたけど、どうにも痛くて寝られない。皮疹が出始めたころより痛みが強くなっている気がする。カロナールを飲んでから次に飲めるまでの4時間が長い。

皮疹のほうは、お腹の発疹と背中の発疹がそれぞれ左側に広がってきて、脇腹でつながった。ご開通おめでとうございます。まさに「帯状」疱疹。でも全部水疱というわけではなく、最初のころにできたの以外は赤い蕁麻疹のような感じ。私の神経は皮膚の下でこのように走っていますよというのを赤い色で描いたみたいだ。

飲んでいる抗ウイルス薬はほんとに効いてるのだろうか。もしあれが効かなかったら、入院して点滴を受けなければならない。造血幹細胞移植後の帯状疱疹では、重症化して内臓に症状が出たりする例もあるらしい。そうならないように移植後2年もアシクロビルを飲んでいたので、たぶんそれはないと思うけど。帯状疱疹後神経痛になる例も多いとか書いてあるし、やだなぁ。

 

次回につづく。

帯状疱疹体験記・その1

先月末のことになるのですが、帯状疱疹というやつになりまして。

体の中に潜伏していた水疱瘡のウイルスが再活性化して、発疹や神経痛を引き起こすというアレです。わりとメジャーな病気なので、やったことある人とか、知り合いがなったという人もいらっしゃるでしょう。

疲労やストレスがたまったときに発症すると言われているけど、実は「骨髄移植後あるある」のひとつでもあるらしいので、私の場合はたぶんそっちが原因と思われます。

せっかくなったので、ほぼ自分のためにだけ記録しときます。無駄に長くてオチもない上、現時点でまだ罹患中ゆえ全何回シリーズになるのか未定。ですのでお暇な方だけお付き合いお願いします(っていつものことか)。

 

【9月末、某金曜日】 

朝起きたらなんかお腹が痛い。左のウエストのあたり。お腹というかお腹のずっと奥のほう、背中の近く、ていうか背中かも。寝違えて背中の筋を痛めたんかいな?肋間神経痛みたいな感じもあるけど、それにしては背中のほう過ぎる。これまであまり痛くなったことがないような部分なのである。

不快感を抱えたまま仕事に行く。仕事中もやっぱり痛い。やはりお腹というより背中のような気がするので、腎臓かもしれない。でも腎盂炎とかなら熱が出そうなものだけどそういう雰囲気はないし、なんやろな?とりあえず筋肉痛かもしれないことを想定して背中にアン〇ルシンを塗って寝る。

 

【翌土曜日】

一晩寝ても背中の痛みはやはり続いていた。この日たまたま近所の内科医院に予防接種の予約を入れていたので、そこへ行って先生に背中が痛いことを訴えてみる。尿検査をしたら細菌が出た。これのせいかもしれないということで抗生物質を処方してもらい(体調が悪いということで予防接種は延期)、家に帰って夕方まで寝る。

背中はやっぱり痛い。そしてなんかお腹の皮膚がピリピリする感じもあるのよね・・・と思いながらお腹をさすっていたら、ヘソの左横あたりになんかザラザラしたものが触れた。跳ね起きてよーく見ると、水疱状のブツブツが集まったような赤い発疹・・・こ、これは、帯状疱疹だ!

なぜすぐにピンと来たかというと、実は予言があったのだ。7月末で移植後2年を経過し、薬の服用がすべて終わることになったのだが、最後まで飲んでいたアシクロビルという薬をやめるとき、先生が「やめたとたんに帯状疱疹が出たりすることもあるから、この薬はなかなかやめ時が難しいんだけど・・・でもまあ2年経ったし、この辺でやめてみましょう」と仰っていたのであった。薬やめてから約2か月。絶対これやろ。

もうひとつには、私、実は中学生のころに一度帯状疱疹をやったことがあったのよね。軽いものだったのであまりよく覚えてはいないのだけど、それでも今回のはなんか見覚えのある感じの発疹だった(ちなみに帯状疱疹は一度やったら免疫ができるので2回かかることはほとんどないと言うけど、私の場合は血を入れ替えたときにそんな免疫はどっか行ったのだ)。

帯状疱疹は発疹が出てから72時間以内に抗ウイルス薬を飲まないといけない。午前中に病院に行ったときには皮疹はなかったから、この数時間のうちに出たものと思われる。もう一度病院へ!と思ったがもう18時を過ぎていて終わっていた。しかも明日は日曜日。月曜まで待たないといけないかと思ったが、ネットで調べたら、日曜やっている何ともありがたい皮膚科が近所にあった!ので、明日そこへ行くことに。以前処方されて飲み忘れたアシクロビルが家に2錠だけあったので、規定量には全然満たないけどとりあえず気休めに飲んでみた。

 

【翌日曜日(発疹から2日目)】

朝イチで皮膚科へ行く。めちゃめちゃ混んでいた。そりゃ日曜に開いてるとこなんて他にないもんね。2時間ほど待って診てもらう。やはり帯状疱疹とのことで、抗ウイルス薬の飲み薬と非ステロイド系の塗り薬、痛み止めにカロナールを処方してもらった。

この時点で皮疹はヘソの左横に縦1.5㎝、横3㎝くらいの赤いぷつぷつの集合体が2か所だけ。先生には「この程度なら良かった。私たちがよく見るのはもっとうわ~っと背中のほうまで広がったやつがほとんどだから」と言われた。この感じなら軽く済みそうかな、とこのときは思っていたのだが。

お腹の皮膚のピリピリチクチクする痛みと、背中から腰のあたりの筋肉痛のような痛みがあったのだが、カロナールを飲んだら多少和らいだ。やれやれ。


▲皮膚科でもらったガイドブック。

一般的に帯状疱疹は50~70歳代の発症が多い。ということでたぶんこの白髪まじりのおじさんがガイド役。でもそれより若くてもなるときはなるんじゃい。

 

次回へつづく。

山形旅行・その4止 山形市内観光&お土産

【2019年9月18日(水)】

山形旅行・その3 鶴岡市内観光(後編)のつづき。

パンダさんの出張はまだ続くのだけど、私は今日が最終日。またしてもお天気は今一つ・・・しかし今日こそ、山形市にある擬洋風建築の傑作を見に行きます。

▲公園の木々の小道を進むと見えてくる派手なオレンジ色

旧済生館本館明治11年(1878) 国指定重要文化財

うーん・・・素敵すぎる!どうですかこのインパクト。どういう構造なんだか、何階建てなのかもパッと見よく分からない。そしてこのオレンジ色。こんな建物、他で見たことない。これが病院だっちゅうんだから余計に面白い。

▲横から見たところ。さらに謎が深まる。

▲こうなってるんですねー(下のでっぱりが正面の塔(三層楼))。十角館(十角ちゃうけど)やん!とか思ってしまう。

この不思議な病院を建てたのも三島通庸。横浜にあったイギリス海軍病院を参考にドーナツ型を取り入れたらしいけど、それにこんな印象的な三層楼を付けたのは三島オリジナル。とにかく目立つシンボリックな建物で、市民をあっと言わせたかったんだろうな。

▲建物内部へは裏側から入ります。ステンドグラスが可愛らしい。

▲中庭を挟んで裏側から見た三層楼

▲回廊を巡る

▲内部は医学資料や郷土史の資料館になってます

▲正面玄関の内側

▲狭くて急でけっこう怖い階段で2階に上がります

▲2階は正十六角形の講堂

▲2階から中庭を見下ろす

▲3階へ続く螺旋階段。唐草模様の彫刻がなんとも美しい

危ないので3階と4階へは上がれないようになっていた。でも後で聞いたら、年に何度か公開している日があるそうです。今度はその日を狙って来てねと言われた。はい、いつか必ず。

ちなみにこの建物は移築される前は七日町にあり、そこには今新しい大きな病院があるのだけど、当時の門柱だけがそちらに遺されているというので行ってみた。

▲そこはかとないトマソン感・・・

さて、擬洋風建築の萌えを堪能したのでもう満足なのだけど、まだ帰りの新幹線まで時間があるのでもう少し建築を巡りますよ。

カトリック山形教会(大正15年(1926))

▲洗練された和洋折衷感

▲レトロっぽいステンドグラスが可愛い

こちらも幼稚園が併設されているらしく、子どもたちの賑やかな声が聞こえる。ふと視線を感じたので振り返ったら、細く開けた入り口の戸の隙間から小さい目がじーっとこっちを見ていた。私が微笑みかけるとピシャっと戸を閉められたよ。

▲出ようとしたら、入ったときはなかった柵が設けられていた。

さらにもうひとつ教会へ。

山形聖ペテロ教会明治43年(1910)、国指定登録有形文化財

なんかおもちゃのおうち(シルバニアファミリー?)のような可愛らしさ。入口のところに、見学希望の方は裏の司祭室へ声をかけてくださいと書いてあったのだけど、裏へ回ってみても人の気配がなく・・・勇気が出なかったので内部は見ないで帰ったのだけど、外側の可愛らしさに反して中はかなり落ち着いた厳粛な雰囲気・・・らしい。やっぱり見れば良かったかな。

▲ぶどうベンチ

▲紅花マンホール

うろうろしていたらそろそろ帰る時間になったので、駅ビルで少しお土産を見てから新幹線に乗って帰りました。

素敵な建物をたくさん堪能できた山形旅、楽しかった。でも見たかったけど見られなかった建物も実はまだまだある・・・温泉なども行ってみたいし、また機会を見つけて訪れたいと思います。

 

というわけで山形旅行、おしまい。

 

【(私の趣味に偏った)お土産】

▲擬洋風建築トートバッグ(旧鶴岡警察署)&近代建築クリアファイル(文翔館)

米織小紋(米沢織)巾着&カットクロス

カットクロスは御殿堰のお店にあったのだけど、売ってるトートバッグと同じサイズの布でお値段はバッグの半分だから、ご自分で作る方ならこちらのほうがお得ですよ~などとお店のお姉さんにそそのかされて(?)買ってしまった・・・このようにして家に増え続けるハギレの在庫・・・(手芸趣味あるある)。

 

▲笹野一刀彫(米沢市)の置物

ニワトリじゃないよ!尾長鳥だよ。とぼけた顔と職人の技のギャップが素敵。

山形旅行・その3 鶴岡市内観光(後編)

【2019年9月17日(火)】

山形旅行・その2 鶴岡市内観光(前編)のつづき。

カウンターに座っていたご夫婦は鶴岡ではないがこの辺の方とのこと。私が観光で来ていると言うと、ここまで来たならぜひ加茂水族館へ行ったらいい、あそこはなかなかすごい、とお勧めしてくれた。加茂水族館鶴岡市の最海際にあるクラゲの水族館で、ガイドブックで見てもちろん知っていたけど、今回は行く予定にはしていなかった。すごく大きな水槽があってクラゲがいっぱいいて、クラゲがあんなきれいなもんだと思わんかった、と熱く語ってくれる奥さん。

行き方を調べてみると、すぐそこのバス停から30分ほどで行けると。意外に近い。地元の人がそこまでお勧めしてくれるなら予定を変更して今から行ってみようかしら。と思ったのだが、念のため帰りのバスの時間を調べると、行って15分くらいで帰ってこなければ山形へ帰る高速バスに間に合わないことがわかった。つまり路線バスの本数がめっちゃ少ないのです(田舎あるある)。あぶないあぶない、勢いで行かなくて良かった・・・。

まあ普通は車で行くとこなんですよね。ということで残念だけど今回は加茂水族館は諦めて、予定通り建築巡りの続きを行う。

午後はこちらの可愛らしい教会から。

鶴岡カトリック教会天主堂明治36年(1903)、国指定重要文化財

和の教会も私の好物のひとつ。

▲畳敷きがたまらない。

▲誰もいない厳かな雰囲気の中、「案内のCDスイッチ」を押します

▲ステンドグラスが細かくてすごくきれいだ

と思ったらこれはステンドグラスではなく、絵を描いた薄い紙を2枚のガラスではさんだものなんだそうな。日本でここでしか見られないとか。もうひとつ日本でここだけのものとして有名な黒いマリア様もいらっしゃいました。

この教会、敷地内に幼稚園があって、賑やかな子供たちの声が聞こえる。いいなぁ、こんな小さい頃から重文のそばで育って羨ましいなぁ。

洋風建築はここまでなのだけど、せっかくなので和の建築も見に行きましょうということで、旧風間家住宅「丙申堂」へ。明治29年築の豪商のおうち。

▲瓦のかわりに石を使った「石置屋根」がここの一番の見どころ。

こんな屋根はじめて見た。どうしてこういう屋根にしたんでしょうと聞いてみたところ、これだけの大きな屋根を瓦葺きにしたら立派すぎるので、お武家さんに遠慮して石置きにしたのではないか(とも考えられているけどはっきりとは分からない)とのこと。なんて謙虚な(?)。

聖徳太子を祀っているお堂の屋根は鶴ヶ岡城の屋根瓦の再利用だそう。

あれ?この赤い屋根って致道博物館で見た擬洋風建築の屋根と同じじゃない?もしかしたらあれも同じお城の屋根瓦だったのだろうか。

▲大広間にあった古いピアノが気になる

この広間の天井がトラス状の梁だったり、内蔵の金庫蔵があったり、ふらっと入ったわりに見どころ多くてなかなか興味深いお宅だった。

▲別館の釈迦堂のほうは静かで居心地のよい空間。お庭が美しい。

こちらでおひとりで案内係をされていた女性とまたしても雑談になり(本館のほうも同様だったけど、なんせお客が私しかいないのでとても丁寧に対応してくださる)、昼に出会ったご夫婦から加茂水族館を勧められた話をしたら、あそこは本当にすごい、時間があったら是非行ってほしかったとこちらでも強く推された。そんな良いところだったのか。行けなかったのが悔やまれる。

その後、まだ帰りのバスまで時間があるなら藤沢周平記念館へ行かれると良いですよ、とお勧めしてもらった。藤沢周平さんって鶴岡市出身なんですね。ということで記念館の近くまで行ってみたのだけど、しかし藤沢周平をひとつも読んだことがない私が行っていいものだろうかなどと思ってしまったので、結局入らなかった。地元の方にお勧めして頂いたところどっちにも行かず申し訳ない。別に不義理を働きたいわけではないのだけど。

その代わり(?)駅まで戻って、近くのフルーツパーラーへ。

洋梨幸水のフルーツジュース。フルーツ王国万歳!

▲お土産を少し見てから、夕方の高速バスで山形へ帰りました。

 

最終日につづく。

山形旅行・その2 鶴岡市内観光(前編)

【2019年9月17日(火)】

山形旅行・その1 山形市内観光のつづき。

今日は滞在中の山形市から足を延ばして、日本海側の鶴岡市へ日帰り一人旅をすることに。鶴岡にも素晴らしい建物が遺っているということで、それを見に行きます。

仕事へ行くパンダさんよりも早く出て、7時20分山形発の高速バスに乗り込む。

▲昨日とは打って変わって気持ちの良い晴天。車窓の若い稲穂がまぶしい。

月山(がっさん)を越えて、約2時間で鶴岡市着。バスターミナルから少し歩いて鶴岡駅前へ。

▲人通りがほとんどなくてやや不安になる鶴岡駅前。

観光案内所で市中心部への路線バスを教えてもらい、バスに乗ってまずは致道博物館へ。

▲のどかな田舎町の街道沿いに突如現れる擬洋風の建築群。

これだけでもう私のテンションだだ上がり。

ところで蛇足かもしれませんが擬洋風建築(ぎようふうけんちく)とは

明治時代初期の日本において、主として近世以来の技術を身につけた大工棟梁によって設計・施工された建築である。従来の木造日本建築に西洋建築の特徴的意匠や、時には中国風の要素を混合し、庶民に文明開化の息吹を伝えようと各地に建設された。(擬洋風建築 - Wikipediaより)

つまり、西洋建築の専門家でない日本の大工さんが、当時東京や横浜などに現れ始めた洋館などを参考に「見よう見まねで」作った建築のことです。代表的なものとしては長崎の大浦天主堂や、今年国宝指定されることになった松本の旧開智学校など。

やはり一番の見どころは独特の和洋折衷感だと思うのだけど、情報が少ない中での西洋建築に対する解釈のユニークさや、作り手の意地と心意気がつまった創造のエネルギーにわくわくされられる擬洋風建築がとにかく私は好きだ。

致道博物館庄内藩主酒井家の御用屋敷跡に、擬洋風の2棟を含む歴史的建築物等を移築保存して公開している博物館です。

まずはこちらの擬洋風建築から、

旧西田川郡役所明治14年(1881)、高橋兼吉、国指定重要文化財

逆光なのがちょっと残念ですが、青空に映えて美しい。白い下見板張りの壁に赤い瓦屋根、時計塔がちょんと乗って、ウェディングケーキのような気品さえ漂う(と私が勝手に思っているだけですが)。

中は考古資料などが展示されている。1段が高い急な階段を2階へ上がると、塔屋へつながる美しい釣り階段が見られた。撮影不可だったのでここでお見せできないのが残念です。

続いてこちら、

旧鶴岡警察署庁舎明治17年(1884)、高橋兼吉、国指定重要文化財

同じ棟梁さんの設計だけど、こちらは警察署らしい厳めしさと重厚さが感じられます。何よりもこの、背景の空とどっちが青いかと思うような壁の青。昨年大規模な修復を終えて生まれ変わったところで、それまでは長いこと白い壁だった(上のリンク先はまだ白い頃の写真)のが、建てられた当初の色はこの青だったことがわかり、今回それが復元されたそうな。白い頃の印象が強いと一瞬えっ?となるけど、これはこれで悪くない。というかなかなか良い色だと思う。

中は復元された取調室で取調べごっこができたりする。2階は何も展示がなくて、上がった人がみな「何にもないわ」と言いながらすぐに降りてきていたのだけど、

▲2階のベランダからこの素晴らしい眺めが見られるじゃないか~!

と声を大にして言いたかった私。ああ、もったいない。

ここでは他にも

重要文化財 旧渋谷家住宅(豪雪地帯の民家)や、

民具の収蔵庫などが見学でき、もちろん全部見たけど長くなるのでここでは割愛。

致道博物館をたっぷり堪能した後は、城址公園のほうへ少し歩いてこちらへ。

大寶館大正4年(1915)、鶴岡市指定有形文化財

こちらは時代がもう少し後なので擬洋風建築のカテゴリーには入りませんが、なかなか独特の異彩を放つ外観。可愛らしいイチゴの乗ったショートケーキ・・・てなぜ私はケーキに例えたがるのか。中は鶴岡ゆかりの人物資料館になっています。

さて、大寶館を出たらそろそろお腹がすいてきたので、どこかでお昼を食べなければならない。しかしこの辺りに食べるところがあんまりない。あっても行ってみたらなぜか休みだったり。でしばらくうろうろしてこちらのお店へ。ほぼ満席だったところ、カウンターに1席作って入れてくれた。

▲海鮮どーん!

パンダさんが仕事してる間に一人で良いもの食べてごめんなさい。いや、このお店以外に選択肢なかったのよ。しかし日本海側のお魚はやっぱりうまーい!お刺身のぶ厚さがハンパない。シジミ汁にサラダまでついて1000円って。飛び込みで入ったのに大満足。

うまうま♪と食べていたら、お醤油取ったきっかけか何かでカウンターで隣に座っていた老夫婦と会話になり、

・・・てこの日はまだ続くけど長くなったのでいったん休憩。

次回につづく。